古今和歌集
『古今和歌集』
以前大学で古今集についての講義があり、それがとても興味深い内容でした。なので自分の中で整理する目的も兼ねて、ブログにまとめてみることにします。
『古今和歌集』(略称:古今集)は醍醐天皇の勅命により編纂され、905年に奏上された和歌集です。選者は 紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑 の4人です。
古今集の歌は全部でおよそ1100首あるそうです。それらの和歌が、「巻第一 春歌上」や「巻第十一 恋歌一」などのように同じテーマでまとめられています。これは全二十巻あり、一年三百六十五日の流れで計算されて並べられています。
巻第一から巻第二十までを並べておきます。
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巻第一 春歌 上
巻第二 春歌 下
巻第三 夏歌
巻第四 秋歌 上
巻第五 秋歌 下
巻第六 冬歌
巻第七 賀歌
巻第八 離別歌
巻第九 羈旅歌
巻第十 物名
巻第十一 恋歌 一
巻第十二 恋歌 二
巻第十三 恋歌 三
巻第十四 恋歌 四
巻第十五 恋歌 五
巻第十六 哀傷歌
巻第十七 雑歌 上
巻第十八 雑歌 下
巻第十九 雑体(長歌・旋頭歌・誹諧歌)
巻第二十 大歌所御歌・神遊びの歌・東歌
”
一年の流れに沿ってテーマごとに分けられていることがわかると思います。
またこれらの二十巻の中でも、さらに時の流れや心の移り変わりが表されていたと言います。
古今集は、四首前後でグルーピングされており、セットで読んでいくと面白さが増します。ここで、梅にまつわる並んだ四首を抜粋します。四首とも、題知らず、詠み人知らずの和歌です。
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三二 折りつれば袖こそ匂へ梅の花ありとやここに鶯の鳴く
≪現代語訳:梅の花の咲いている枝を折ったので、袖が匂っている。(梅の花の匂いが強いので、袖に匂いが移った。)「梅の花がある」と思ったのか、鶯が袖にとまって鳴いている。≫
三三 色よりも香こそあはれと思ほゆれ誰が袖触れし宿の梅ぞも
≪現代語訳:目で見た梅よりも、香りの方が趣があるように思われる。誰の袖(お香をたきしめた袖)が触れて、宿の梅に匂いが移ったのかなあ。≫
”
この二首は、どちらも梅の花と袖の間で匂いが移ったという意味ですが、匂いの移り方が異なっています。
先の歌では、梅の花から袖に匂いが移ったことを詠んでいますが、後の歌ではお香をたきしめた袖から梅の花に匂いが移ったと詠んでいます。
編纂者は、わざとこの二首の歌を並べたのだろうと言われています。
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三四 宿近く梅の花植ゑじあぢきなく待つ人の香にあやまたれけり
≪現代語訳:宿の近くに梅の花を植えるのはやめよう。つまらなく待つ人(当時は通い婚なので、恋人を待っている。)のお香の香りと、梅の花の香りを間違えるから。≫
三五 梅の花立ち寄るばかりありしより人のとがむる香にぞしみける
≪現代語訳:梅の花のすぐ近くにたたずんだことがあって、その際に服へ匂いがしみついた。そのまま恋人のもとへ行くと、(梅の花のいい香りがするので、恋人が「ほかの女性のところへ行ったのでは?」と疑って)とがめられた。≫
”
先の歌を詠んだのは女性で、後の歌を詠んだのは男性です。
この二首も、梅の花(あるいはお香)の香りについての歌です。しかしこれらは先程にはない共通点として、女性の勘違いが詠まれた二首であると言えます。
この二首が並んだことも、偶然とは言い難いです。
この後にも、「折り」という言葉が入った梅の花を折るシーンや、夜と梅の花を詠んだ歌が続きます。
さらに全体で見ると、満開から散る花を詠むように並べられているのです。
このような花についてだけでなく、恋歌についても、恋心の芽生えから失恋までの流れを意識しているのではないかと言われています。
わたしは古今集が季節などのテーマごとに分かれているということはなんとなく知っていたのですが、さらにその中でも流れや似た内容の歌が計算されて並べられていると聞いたときに、なんという苦労!と驚きました。それと同時に、和歌の楽しみ方も少し変わってくると感じました。
今までは読んできた本は小説ばかりだったけれど、これをきっかけに古今集などの和歌にも触れていきたいと思いました。
目的は講義の内容の整理でしたが、なんとなく興味があった人には「そんな楽しみ方もあるのか」と思っていただいたり、古文や和歌が苦手な人にも身近に感じていただけたら嬉しいです。