痴人の愛
あらすじ
ハイカラや西洋に憧れを持つサラリーマン 河合譲治は、カフェで出会った美しい十三歳下の少女 ナオミを引き取り、自分の下で好みの女性に育て、妻にする。次第に周囲には、美しく妖艶な女性へと成長したナオミに魅了された男友達が群がり始める。はじめは譲治も男たちと仲良くしていたが、後にその男友達はナオミと肉体的な関係があることを知る。そして夫である譲治もその肉体の魅力に溺れ、身を滅ぼしていく。
譲治が綴った「夫婦の記録」として、時間を追って書かれている。
感想
自分とかけ離れた話でもあり、自分にも起こりうる話でもあると思った。わたしは、基本的に人はみんな何かを信じたがっている、あるいは何かにすがりたがっていると思っている。避けられない不安やストレスから逃げようと、人々はどこかに落ち着ける道を探す。それは人であったり、宗教や芸術、アルコールやドラッグであったりすることが多いと思う。譲治はその信仰の対象がナオミという少女にあったのだと思う。だからこそ自分が譲治のように、あるいはナオミのようになる未来も存在するのだ。
譲治が堕落していく物語後半部分は、読んでいるこっちが恥ずかしいような、虚しいような感覚になる。特に、譲治がナオミの不倫を知って、家を追い出したあと。譲治ははじめこそナオミを諦め、「あかの他人」として見るようになる。ところがナオミが少しずつ家に荷物を取りに来るようになるうちに、譲治は再びナオミの肉体に執着しだす。そこで譲治は「何でも云うことを聴く」と約束し、ナオミとやり直すことを決めた。その際譲治は、幼い頃のナオミにやってあげたお馬さんごっこをしながら約束をするのだ。「お前が触らせてくれないなら俺を馬にしてくれ」と頼む譲治の、ナオミに狂わされてしまった姿がとても不憫で、また愚かに見えて来る。しかし譲治はもともと、ちょっとハイカラを好む普通で常識的なサラリーマンだったはずだ。そんな譲治が一人の女によって壊れてしまうというギャップに、ナオミが「妖婦」と呼ばれる理由が表れているように思う。
戦後すぐの作品ということもあり、難しそうだと思う人もいるかもしれないが、読んでみるとあまり堅い言い回しもない。近代日本文学に挑戦したい人も、とっかかりやすい小説だと思うので、興味のある方はぜひ読んでみてください。